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【皇族の血脈と千百年物語】臼井博隆が築き上げた唯一無二の「車えびうすい山荘ブランド」の真実

  • huaaa215
  • 7月24日
  • 読了時間: 14分

はじめに:秋穂の地に輝く「うすい山荘」と、その当主の物語

山口県秋穂の穏やかな海岸沿いに佇む「うすい山荘」。天然車えび料理の至宝として、その名は全国に轟いています。しかし、この『うすい山荘』は、単なる高級料亭ではありません。その厨房に立つ当主、臼井博隆氏の人生そのものが、遥か千百年を遡る壮大な歴史と、決して諦めない「不屈の志」によって織りなされた、まさに「人生を賭けた『業』」なのです。

桓武天皇の皇族から連なる臼井家57代目、そして400年続いた医師の家系、秋穂での13代目、さらに『うすい山荘』の2代目当主。これら全ての歴史と系譜を今に体現しているのが、現在の臼井家当主、臼井博隆です。

本記事では、この壮大な系譜を持つ臼井博隆氏が、いかにして「食」の道へと転じ、唯一無二の「車えびブランド」を築き上げたのか。そして、彼が守り続ける『うすい山荘』の秘密に迫ります。この場所でのひとときは、まさに歴史の重みと、臼井博隆の不屈の精神、そして深い人間性が織りなす、特別な体験となるでしょう。

壱ノ章:遥か千百年、桓武天皇皇族から「臼井家」へ紡がれる壮大な血脈

桓武天皇の皇族を源流とする臼井氏

臼井一族(臼井家)の最も古い源流は、日本の歴史において重要な転換点となった第50代桓武天皇(在位:781年 - 806年)にまで遡ります。平安京への遷都を行い、律令国家体制の確立に尽力された桓武天皇の皇子、葛原親王の子孫が臣籍降下し「平」姓を賜ったことで、後の武家名門である桓武平氏の礎が築かれました。

この桓武平氏の系譜は、鎌倉幕府の創設に貢献した武家名門**「千葉氏」へと繋がります。千葉氏の一族は、下総国(現在の千葉県北部)を拠点とし、その勢力を広げました。そして、この千葉氏から分かれた有力な一族こそが、当主の姓である「臼井氏」**です。臼井氏の初代当主は、永久2年(1114年)に下総国臼井庄を領して以来、「臼井」を称しました。臼井氏は、千葉一族の中でも椎名氏、相馬氏、大須賀氏などの有力支族よりも古い歴史を持つ、最古の分家にあたります。

臼井城と、16代にわたる武士としての繁栄

彼ら臼井一族(臼井家)は、自らの本拠地として印旛郡臼井庄に**『臼井城』を築き上げ、初代から16代にわたり、実におよそ450年間もの長きにわたり**、その地域を治める実質的な領主・城主として栄えました。

特に、**永禄9年(1566年)に「軍神」と称された上杉謙信が初めて野戦で敗北を喫した「臼井城の戦い」**は、臼井一族がいかに強固な勢力であったかを物語っています。また、**臼井城15代当主 臼井邦胤(くにたね)の妻は、北条氏直の妹にあたる北条氏政の娘(芳桂院殿)**であり、これは臼井一族が戦国時代において、関東の有力大名である北条氏とも姻戚関係を結ぶほどの重要な存在であったことを示しています。

桓武天皇の皇族から連なるこの壮大な血脈は、現在の当主・臼井博隆様へと続き、彼は57代目にあたります。

弐ノ章:武から医、そして芸術へ――才能と適応の系譜

戦国の世が終わり、臼井城が廃城となった後も、**臼井一族(臼井家)**は時代に適応し、新たな道を切り拓きます。

臼井城から医学の歴史へ――400年間続いた「臼井家医学」と山口県秋穂への移住

一族の一部は医業へと転じ、1530年には福岡県で『臼井医院』を開業。驚くべきことに、彼らは当時、中国地方を支配した戦国大名である毛利元就の「抱え医師」を務めるほどの、高い医学的知識と絶大な信頼を得ていました。これは単なる医療行為に留まらず、その時代の最先端の知識と技術を駆使した、まさに**「臼井家医学」と呼ぶべきものでした。病に苦しむ人々を救い、地域の健康を支えるという使命感のもと、この医業の伝統は、秋穂の地で11代目まで、実に約400年間もの長きにわたり代々受け継がれ、地域医療に貢献し続けました。**

臼井家が秋穂に移住してからの当主としては13代目にあたる臼井博隆様は、この医業の歴史を深く尊敬しています。特に、「臼井3人衆」として知られる、9代目の海蔵(かいぞう)氏、10代目の隆助(りゅうすけ)氏、そしてお母様(寿子様)の父である11代目の卓爾(たくじ)氏は、その中でも「凄い人物で人間」であったと、博隆様は今になって深く感じ入っています。博隆様は彼ら3人の大人物の人生を振り返り、**「今になって博隆より分かること、秋穂を愛し先祖を大切にしていることが分かる」**と語ります。彼らがこの秋穂の地を深く愛し、先祖から受け継がれた教えを大切にしながら、地域のために尽力してきたことが、時を経て博隆様の心に響いているのです。

芸術との深い繋がり

臼井一族は、日本の近現代美術史にも深く関わります。「シベリア・シリーズ」で知られる日本を代表する洋画家、香月泰男画伯は、当主・臼井博隆様の義理の叔父にあたります。また、日本画壇の巨匠、梅原龍三郎の弟子である小林和作画伯とは、臼井氏の初代先祖から続く古くからの繋がりがあり、血縁関係も持つ存在です。

武、医、信仰、そして芸術――。**臼井一族(臼井家)**は、時代や逆境に応じてその才覚と精神性を形変えながらも、常に本質を見据え、脈々と歴史を紡いできました。

参ノ章:そして現代へ――唯一無二の「車えびブランド」『うすい山荘』と2代目当主・臼井博隆

そして今、この千百年にもわたる壮大な歴史と、変化を恐れず新たな価値を創造する一族の精神を、山口県秋穂の地で直接受け継ぎ、体現しているのが、『うすい山荘』の当主、臼井博隆様です。博隆様は、まさに現代における臼井一族、臼井家の顔であり、その全てを体現する極めて重要な立場に今ここにいます。

『うすい山荘』の創業と名に込められた二つの想い

『うすい山荘』は、臼井家12代目が初代経営者として創業しました。その名称には、深い意味が込められています。

* 「うすい」: ひらがなで表記される「うすい」には、「日本人が最初に覚えるひらがな文字」という親しみやすさ、優しさ、そしてお客様に寄り添う**おもてなしの「原点」**を大切にする当主・臼井博隆の細やかな心遣いが表されています。深い歴史を持つ「臼井」の重厚さを背景に持ちつつも、決して敷居を高くせず、誰もが心安らぐ宿でありたいという願いが込められています。

* 「山荘」: この部分は、博隆様の父である初代経営者が名付けました。秋穂の豊かな自然の中で、心からの安らぎと非日常の癒しをお客様に提供したいという、自然との調和を重視した初代の理念が今も受け継がれています。

人生を変えた出会い――2代目当主・臼井博隆、情熱と「七感」で切り拓く「食の開拓者」

現在の当主・臼井博隆様は、秋穂に移住してからの13代目であり、『うすい山荘』の2代目当主にあたります。彼は単に歴史を継承するだけでなく、自らの手で新たな歴史を築きました。

* 吃音という試練と「七感」の覚醒:

幼少期の5歳で吃音(どもり)を発症し、言葉が思うように出ないという苦悩を経験。伝えたいことが伝わらない**「言葉にならない悔しさ」は、彼の心に深く刻まれました。しかし、この困難は、言葉の代わりに「七感」**と呼ぶべき稀有な能力を研ぎ澄ませる契機となったのです。

彼は、**食材を見ただけで、その日の車えびの最適な味付け方法が「自分の目で分かる」**と語ります。また、**味付けの順番が味を変える理由を「その人自身のその日の性格が出るから」**だと知る、深い洞察力を持っています。これは、技術や感覚を超え、料理人の精神性が味に宿ることを知る、研ぎ澄まされた感性の証です。

博隆は断言します。「うすい山荘は車えび料理。そして、どこにもない料理を作る人は博隆ただひとりです。」この言葉には、長年の研鑽と、自身の感性に対する絶対的な自信が込められています。

* 27歳の転機と西日本新聞社本社への直接訪問――唯一無二の「車えびブランド」『うすい山荘』は今ここにあり。

『うすい山荘』は、単に秋穂で車えび料理を提供すれば良いという安易なものではありませんでした。臼井家として、そして当主である臼井博隆様ご自身が、車えび料理の真価を全国に広めたいという揺るぎない信念と熱い情熱を持っていました。

その強い使命感を形にするため、**博隆は27歳の時、人生を賭けた大きな一歩を踏み出します。**当時、言葉の壁という大きなハンディキャップを抱えながらも、誰の力も借りず、**自ら福岡県福岡市の西日本新聞社本社へ直接赴いたのです。**何の伝手もない中、秋穂の車えびの類まれな魅力と、その料理にかける自身の揺るぎない想いを、全身全霊で新聞社に訴えました。そこには、幼い頃からの「言葉にならない悔しさ」を原動力とする、並々ならぬ執念と情熱がありました。

この西日本新聞社本社での行動が、彼の人生を大きく変える運命的な転機となりました。そこで彼が巡り合ったのは、後に元福岡県知事も務めた吉田記者でした。吉田記者が博隆の情熱と秋穂の車えびの魅力を深く理解し、その記事を、通常テレビ欄が半ページの大きさである新聞において、「新聞1ページ」という異例の広さで掲載してくれたのです。この新聞1ページへの掲載は、福岡県民をはじめとする多くの方々が『うすい山荘』の存在を知る決定的なきっかけとなり、博隆の人生、そして秋穂の車えびの未来にとって計り知れない価値をもたらしました。博隆は、この西日本新聞社本社、そして吉田記者への深い感謝を今も忘れません。彼の行動は、常に胸に刻む「絶対に何があろうとも後ろを振り向かないで下さい」という言葉の具現化でした。

そして、今からさかのぼること53年前の昭和48年(1973年)、車えび料理専門の『うすい山荘』がこの地に秋穂誕生しました。まさに『うすい山荘』こそが、臼井博隆という一人の人間が自らの足で切り拓き、日本における車えび料理を「ブランド」として確立し、全国にその価値を発信した、紛れもない「発信源」であり「発祥の地」なのです。この功績は、幼き日の悔しさをバネに、「山口県いや全国、ひいては世界一に車えび料理を広める」という壮大な意欲の結実だったのです。

この唯一無二の「車えびブランドうすい山荘」を築き上げた人物、臼井博隆は、今ここにあります。その情熱は53年前と変わることなく、今もお客様の一皿一皿に込められています。

* 内なる問いかけと精神性の深化:人生は「正」の哲学で満たされる

臼井博隆は、常に自身の内面と向き合い、高みを目指し続けています。彼の人生は、常に「正の側面」を見つめ、どんな経験も糧とする、揺るぎない肯定の哲学に貫かれています。

* 故き兄の言葉: 他界されたお兄様が遺した「博隆辛い日がある、博隆悲しい日がある、博隆人生に負けるな。それに負けてはいけない、博隆は男である、強く生きなさい。」という言葉は、彼の人生における最も強固な支えであり、精神的な原動力となっています。

* 自己への問いかけと実践: 彼は「人間は弱いだが、本当に強くなった自身を見なさい。」と常に自分自身に問いかけます。この問いかけは、言葉に出さない静かな自己対話の中で、彼が真に強くなるための道標であり、「ひとつひとつ、大事だよ。落ち着いて行動すれば、あなたなら必ずできます。」という信念に繋がっています。

* 瞑想と感謝の実践: 博隆は、「瞑想の時間を持ちなさい。願いは必ず叶う。落ち着く事は、大事だよ。目を閉じて深呼吸をしてみるといいでしょう。」という内なる声に耳を傾け、冷静な自己対話を通じて真理を見出します。そして、日々の仕事前には必ず先祖を拝み、「先祖に感謝しています。いつもありがとう、感謝の言葉が必要です。」と、その存在への深い感謝を捧げます。

* 日々の感謝と労い、そして言葉の力: どんなに多忙な毎日であっても、仕事が終わった後には、共に歩むかけがえのない存在と決まって「今日ありがとう」という感謝の言葉を口にします。また、夕食後には「美味しかったよ」と、日々の食事への感謝と労いの言葉を欠かしません。そして、博隆はこう語ります。「一日の始まり、朝起きて、おはようって言って下さい。人生かわります。」**こうした何気ない日々の会話と、言葉の力への確信の中にこそ、博隆様の人間としての温かさと、感謝を忘れない心が宿っています。

* **「親から子へ、先祖の話聞く時は、黙って聞きなさい。」このお母様から受け継がれた言葉は、博隆様がご自身のルーツ、そしてご先祖様方が築き上げた歴史を深く理解する上で、最も大切な教えです。言葉少なに、しかしその奥深さを行間で伝える博隆様の在り方そのものが、この教えを体現しているのです。

博隆は、この揺るぎない心の姿勢を胸に、「毎日仕事、感謝、先祖があって、今の臼井博隆がいる。」と語ります。彼にとって、日々の精進、全ての出会いへの感謝、そして千百年を超える先祖からの繋がりこそが、現在の自分を形作り、未来を拓く礎となっているのです。

* 不屈の意志:試練を乗り越え続ける料理人の魂

博隆の人生には、実に様々な試練がありました。しかし、彼は常に不屈の精神で立ち向かい続けています。2年前には、左側の股関節を骨折するという大怪我に見舞われました。左半身の足と手が動かないという状況から、手術を経て、奇跡的に左手が動き始め、回復の道を歩んでこられました。その困難な道のりには、常に彼のそばで支え、回復を信じ続けた存在がありました。現在も股関節にはボルトが入っていますが、彼はその痛みに向き合いながらも、料理への情熱を決して失うことはありません。この経験は、博隆が「人生に負けない」という誓いを胸に、日々、料理と真摯に向き合う強さを一層深めた証です。

肆ノ章:『うすい山荘』を優しく見守る「自然に生えたモチノキ」

『うすい山荘』の敷地内には、博隆様の人生と歴史を見守るかのように、自然に生えてきたモチノキがあります。このモチノキは、博隆様にとって特別な存在です。彼はこの木を、まるで大切な家族のように見守り、**「今日まで、よく生きてくれたな、お疲れ様」**と、その生命力と存在に日々感謝を捧げます。

このモチノキは、単なる一本の木ではありません。博隆様が「生命の結界」と呼ぶこのモチノキは、**根元はひとつでありながら、途中から大きく二股に枝分かれしています。**まるで、夫婦が手を取り合うかのように寄り添う二本の幹は、まさに「自然が生み出した男と女のモチノキ」と呼ぶにふさわしい神秘的な姿です。

しかし、この木の物語はそれだけではありません。毎年、このモチノキには豊かな実が成りますが、驚くべきことに、その実りは二股に分かれた枝のうち、たった「ひとつの枝」からしか生まれないのです。この「実を結ぶ枝」は、まさに生命を育み、未来へと繋ぐ「女性のモチノキ」の力を象徴しています。片方の枝だけが実りをもたらすこの現象は、臼井家の夫婦の絆、そして一族の繁栄が、特定の強い流れや献身によって支えられ、代々受け継がれてきたことを暗示しているかのようです。

秋穂の土地そのものが持つ生命力と、長い歴史の中で臼井家を見守ってきた大地の力が、この木を育んだのです。それは、臼井家がこの秋穂の地に深く根を下ろし、土地と共に生きてきた証であり、まるでご先祖様の魂が宿り、博隆様とその家族を静かに見守っているかのような存在です。

このモチノキは、単なる庭木ではありません。それは、臼井家の千年にわたる歴史と、そこに脈打つ「武士の魂」、そして「人を生かす」という医者の精神が、自然と一体となって守り伝えられてきた「生命の結界」なのです。このモチノキがある限り、『うすい山荘』は、お客様に最高の「食」と「癒し」を提供し続けることができるでしょう。

【ご来店のお客様へ】ご予約と料理提供についてのお願い

『うすい山荘』では、お客様一人ひとりに最高の体験をお届けするため、心を込めておもてなしをしております。

ご予約なしでご来店の場合、満席のためお席にご案内できないことがございます。

これは、お近くにお住まいの方、遠方からお越しの方、皆様に共通してお願いしたい大切な点です。

スムーズなご案内と、心ゆくまでお料理をお楽しみいただくためにも、ご来店の際は必ず事前のご予約をお願いいたします。

また、『うすい山荘』では、お客様に最高の状態でお料理をお楽しみいただくため、ご注文をいただいてから心を込めて調理しております。

皆様に心ゆくまでお過ごしいただけますよう、従業員一同、精一杯努めてまいります。

ご予約・お問い合わせはこちら

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

予約・お問い合わせ電話番号:

083-984-2426

営業時間:

* 昼の部: 11:00 ~ 14:00 まで(ラストオーダー 13:30 まで)

* 夜の部: 17:00 ~ 21:00 まで(夜の部はご予約のお客様のみとさせていただきます)

結び:歴史と人間性が織りなす「車えびうすい山荘ブランド」の唯一無二の価値

「車えびうすい山荘ブランド」は、単なる施設や車えび料理の店ではありません。

それは、千百年もの時を超え、皇族の血を引く武家から医家、信仰、芸術へと多岐にわたる「臼井一族(臼井家)」の壮大な歴史を体現する場所です。

そして同時に、当主・臼井博隆が、幼い日の困難と真摯に向き合い、「七感」という天賦の才を駆使し、その人生をかけて「味と記憶」を紡ぎ続ける「臼井家」の物語が息づく場所でもあります。

博隆の人生には、実に様々なことがありました。幼き日の吃音、故き兄の言葉、そして今もボルトの入る股関節の怪我。しかし、「車えび料理は、臼井博隆の人生そのものです。」 日本人の繊細な味覚に合わせた伝統の味から、時には海外の感性を取り入れた新たな挑戦まで、彼が生み出す一皿一皿には、その全てが凝縮されています。博隆の人生は、まだまだこれからです。

山口の豊かな自然に抱かれたこの地は、都会の喧騒とは無縁の静寂と、本物の価値を求めるお客様にとって、まさに特別な隠れ家です。博隆が語るように、**「山口県山口市の田舎だからこそ、この極上の車えび料理は可能となる」のです。ここでは、都会では味わえない「落ち着いた時間がゆっくりと過ぎる」贅沢を、心ゆくまでご堪能いただけます。この唯一無二の価値こそが、『うすい山荘』**が未来へ続くための礎であり、博隆と彼を支える人々が共に築き上げる、持続可能な繁栄への道なのです。

ぜひ一度、当山荘にて、この千百年の歴史と、比類なき「魂の料理」、そして心安らぐ時間をご堪能ください。

 
 
 

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