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【うすい山荘】千百年の時を超え、歴史と食の未来を紡ぐ「臼井博隆」の物語

  • huaaa215
  • 7月18日
  • 読了時間: 12分

山口県秋穂の『うすい山荘』を営む当主、臼井博隆。彼は単なる宿の経営者や車えび料理の料理人という枠をはるかに超えた、特別な存在です。

その人生は、千百年以上にもわたる日本の壮大な歴史の継承者であり、同時に、個人的な困難を「正」の糧とし、現代の食文化に新たな足跡を刻んだ「開拓者」の物語でもあります。


「うすい山荘」でのひとときは、単なる食事や車えび料理ではありません。

そこには、歴史の重みと、当主・臼井博隆の不屈の情熱、そして深い人間性が息づいています。

壱ノ章:皇族から城主へ――千百年の時を遡る「臼井一族」の壮大な系譜

「うすい山荘」の当主・臼井博隆が代々受け継ぐ「千葉臼井家譜」は、臼井一族が日本の歴史の中でいかに重要な役割を担ってきたかを明確に示しています。

その系譜は、遠く皇族にまで遡り、武士の世では堅固な臼井城を治めた独立勢力として名を馳せた、他に類を見ない壮大な物語です。

* 日本を創った皇族の血脈:桓武天皇からの源流

臼井一族の源流は、日本の首都を平安京に移し、律令国家の体制を確立した第50代桓武天皇にまで遡ります。その皇子である葛原親王(かずらわらしんのう)の子孫、平高望王が臣籍降下し「平(たいら)」姓を賜ったことで、桓武平氏の礎が築かれました。

日本の礎を築いた紛れもない皇族の血が、千百年の時を超え、今も臼井一族には脈々と流れています。

* 鎌倉幕府を支えた武家名門「千葉氏」からの分派と独立

桓武平氏の系譜は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、源頼朝の挙兵に参画し、武家政権である鎌倉幕府創設に多大な貢献をした武家名門「千葉氏」へと繋がります。千葉氏の一族は、下総国(現在の千葉県北部)を拠点とし、その勢力を広げました。

この千葉氏から分派した有力な一族こそが、当主の姓である「臼井氏」です。臼井氏の初代当主は、千葉介常胤の祖父である下総権介平常兼(たいらのつねかね)の三男、臼井六郎常康(または常安)とされ、永久2年(1114年)に印旛郡臼井庄(現在の千葉県佐倉市臼井)を領しました。

つまり、千葉介常胤にとっては叔父にあたる極めて古い分家であり、千葉一族の中でも椎名氏、相馬氏、大須賀氏などの有力支族よりも古い歴史を有しています。

彼らは、千葉氏と共に代々妙見菩薩(北極星・北斗七星を神格化した守護神)を篤く信仰しました。その信仰の証である「月星紋」**は、千葉氏と臼井氏に共通する家紋として、今も臼井一族の誇りとして受け継がれています。

堅固な「臼井城」を代々治めた領主・城主としての確固たる地位


臼井一族は、その勢力と実力を背景に、現在の千葉県佐倉市にあった難攻不落の山城*『臼井城』を本拠地とし、およそ450年にわたり、その周辺地域(臼井庄)を治める実質的な支配者(領主・城主)でした。彼らは単なる武士ではなく、自らの武士団を率い、地域の政治、経済、軍事、司法の全てにおいて権限を行使する、独立した大名に匹敵する存在でした。


臼井城は、その地理的・戦略的重要性から、文明11年(1479年)の太田道灌による攻撃や、永禄9年(1566年)の上杉謙信による激しい攻防戦**など、幾度も戦乱の舞台となりました。特に、**上杉謙信が初めて野戦で敗北を喫した「臼井城の戦い」**は、日本の戦国史における重要な転換点の一つとされています。臼井一族は、こうした度重なる危機を乗り越え、城と領地を守り抜きました。


戦国時代の15代当主・臼井邦胤が、関東の有力大名である北条氏政の娘(芳桂院)と婚姻を結ぶなど、その家格と勢力が当時極めて高かったことは、彼らが確固たる権力を持つ大名に匹敵する存在であったことを物語っています。


「武」から「医」へ:毛利元就の「抱え医師」としての転身

臼井城が豊臣秀吉による小田原征伐後の政変を経て廃城となった後、臼井一族の一部は新たな道を歩み始めます。

それが医業でした。家譜に記された「筑紫千葉」の記述が示唆するように、九州方面へと移動した一族は、1530年(戦国時代)には福岡県で「臼井医院」を開業。驚くべきことに、彼らは当時、天下を争う戦国大名・**毛利元就の「抱え医師」を務めるほどの、高い医学的知識と絶大な信頼を得ていました。

これは、武士の時代が終わる中で、一族が持つ才覚と知識を新たな形で活かし、日本の歴史に貢献し続けた証です。

この医業の伝統は、江戸時代初期の1623年に山口県秋穂へ移住した後も約400年もの長きにわたり代々受け継がれ、地域医療に貢献し続けました。

逆境下の「信仰」と「芸術」の才能

臼井一族の歴史は、さらに深い文化的な側面も持ち合わせています。

* キリスト教との関わり: 江戸時代の厳しい禁教令下においてもキリスト教を信仰していたという事実は、彼らが揺るぎない精神性を持ち、命がけで信仰を守り抜いてきたことを示唆します。

医業とキリスト教の隣人愛の精神が深く結びついていた可能性も考えられます。

* 近現代の芸術家との繋がり: 臼井一族は、日本の近現代美術史に名を刻む著名な画家たちとも深く繋がっています。

「シベリア・シリーズ」で知られる日本を代表する洋画家香月泰男画伯は、当主・臼井博隆の義理の叔父にあたります(香月画伯の妻・婦美子様と博隆の母親が姉妹)。

現在、香月画伯の生涯を題材とした映画化も進行中です。


また、日本画家・梅原龍三郎の弟子である小林和作画伯は、臼井氏の初代先祖からの古く深い付き合いがあり、臼井氏10代目の子と婚姻を結んだという、歴史的な血縁関係を持つ存在です。


これら全てが融合し、武・医・信仰・芸術という多角的な側面を持つ壮大な「臼井一族」の歴史が紡がれてきました。


弐ノ章:千百年の歴史を現代に拓く「うすい山荘」の当主・臼井博隆

そして今、この千百年にもわたる「臼井一族」の壮大な歴史を、山口県秋穂の地で直接受け継ぎ、新たな時代を切り拓いているのが、「うすい山荘」を営む当主、臼井博隆です。彼は、まさに現代における「臼井一族」の顔であり、その全てを体現する極めて重要な立場にある人物です。

「うすい山荘」の名に込められた二つの想い

当館の名称「うすい山荘」には、深い意味が込められています。

* 「うすい」: ひらがなで表記される「うすい」には、「日本人が最初に覚えるひらがな文字」という親しみやすさ、優しさ、そしてお客様に寄り添うおもてなしの「原点」を大切にする当主・臼井博隆の細やかな心遣いが表されています。深い歴史を持つ「臼井」の重厚さを背景に持ちつつも、決して敷居を高くせず、誰もが心安らぐ宿でありたいという願いが込められています。

「山荘」: この部分は、博隆の父である初代経営者が名付けました。秋穂の豊かな自然の中で、心からの安らぎと非日常の癒しをお客様に提供したいという、自然との調和を重視した初代の理念が今も受け継がれています。


若き日の「悔しさ」を情熱に変えた「食の開拓者」


臼井博隆は、単に歴史を継承するだけでなく、自らの手で新たな歴史を築きました。


* 吃音という試練と「七感」の覚醒、そして言葉への真摯な姿勢:

幼少期の5歳で吃音(どもり)を発症し、言葉が思うように出ない、ひっかかるという苦悩を経験。伝えたいことが伝わらない「言葉にならない悔しさ」は、彼の心に深く刻まれました。

しかし、この悔しさは負の遺産とはなりませんでした。むしろ、この困難と向き合い、言葉以外の感覚、とりわけ「七感」と呼ぶべき稀有な能力を研ぎ澄ませる契機となったのです。

博隆は、たとえ言葉がどもっても、ご自身の口で伝えることの重みを誰よりも知っています。日々の会話の中で、相手が次に話す内容を理解していても、あえてご自身の言葉で、たとえどもっても誠実に語りかけることを大切しています。その言葉を、温かく、そして深く理解しようと待ってくれる、最も大切な存在との絆がそこにはあります。この真摯な姿勢こそが、彼が困難を乗り越え、自己と向き合い続ける強い意志の表れであり、人としての深みを形成しています。

彼は、食材を見ただけで、そしてその匂いからでも最適な味付け方法が分かるという驚くべき天賦の才を持ちます。味は口の中で感じるものですが、彼の「目」は食材の全てを洞察し、その日の車えびの最適な味付け方法が「自分の目で分かる」と語ります。

さらに、味付けで入れる順番通りに入れても味付けが変わるという料理の深奥を理解し、その違いが「その人自身のその日の性格が出るから」だと認識しています。これは、技術や感覚を超え、料理人の精神性が味に宿ることを知る、極めて深い洞察です。


* 不屈の行動と全国への拡大: 27歳の若き日、博隆はその情熱を胸に、言語障害という困難を抱えながらも、それを乗り越える強い意志を力に変え、自ら福岡の西日本新聞社本社に赴き、熱意をもって「車えび料理」の魅力を訴えました。驚くべきことに、その記事を執筆したのは、後に元福岡県知事も務めた吉田氏でした。

この行動は、彼が常に胸に刻む「絶対に何があろうとも後ろを振り向かないで下さい」という言葉の具現化でした。この著名な記事がきっかけとなり、秋穂の「車えび料理」は全国に知れ渡り、

彼は地域の特産品を全国区「全国車えび料理」のブランドへと押し上げた「立役者」となりました。

この功績は、幼き日の悔しさをバネに、「山口県いや全国、ひいては世界一に車えび料理を広める」という壮大な意欲の結実だったのです。

* 内なる問いかけと精神性の深化:人生は「正」の哲学で満たされる

臼井博隆は、常に自身の内面と向き合い、高みを目指し続けています。彼の人生は、常に「正の側面」を見つめ、どんな経験も糧とする、揺るぎない肯定の哲学に貫かれています。

* 故き兄の言葉: 他界されたお兄様が遺した**「博隆辛い日がある、博隆悲しい日がある、博隆人生に負けるな。それに負けてはいけない、博隆は男である、強く生きなさい。」**という言葉は、彼の人生における最も強固な支えであり、精神的な原動力となっています。

* 自己への問いかけと実践: 彼は**「人間は弱いだが、本当に強くなった自身を見なさい。」と常に自分自身に問いかけます。この問いかけは、言葉に出さない静かな自己対話の中で、彼が真に強くなるための道標であり、「ひとつひとつ、大事だよ。落ち着いて行動すれば、あなたなら必ずできます。」という信念に繋がっています。

瞑想と感謝の実践: 博隆は、「瞑想の時間を持ちなさい。願いは必ず叶う。落ち着く事は、大事だよ。目を閉じて深呼吸をしてみるといいでしょう。」という内なる声に耳を傾け、冷静な自己対話を通じて真理を見出します。そして、日々の仕事前には必ず先祖を拝み、「先祖に感謝しています。いつもありがとう、感謝の言葉が必要です。」と、その存在への深い感謝を捧げます。

日々の感謝と労い、そして言葉の力: どんなに多忙な毎日であっても、仕事が終わった後には、共に歩むかけがえのない存在と決まって**「今日ありがとう」という感謝の言葉を口にします。また、夕食後には「美味しかったよ」と、日々の食事への感謝と労いの言葉を欠かしません。そして、博隆はこう語ります。「一日の始まり、朝起きて、おはようって言って下さい。人生かわります。」こうした何気ない日々の会話と、言葉の力への確信の中にこそ、博隆様の人間としての温かさと、感謝を忘れない心が宿っています。

博隆は、この揺るぎない心の姿勢を胸に、「毎日仕事、感謝、先祖があって、今の臼井博隆がいる。」と語ります。彼にとって、日々の精進、全ての出会いへの感謝、そして千百年を超える先祖からの繋がりこそが、現在の自分を形作り、未来を拓く礎となっているのです。

* 不屈の意志:試練を乗り越え続ける料理人の魂

博隆の人生には、実に様々な試練がありました。しかし、彼は常に不屈の精神で立ち向かい続けています。2年前には、左側の股関節を骨折するという大怪我に見舞われました。左半身の足と手が動かないという状況から、手術を経て、奇跡的に左手が動き始め、回復の道を歩んでこられました。その困難な道のりには、常に彼のそばで支え、回復を信じ続けた存在がありました。現在も股関節にはボルトが入っていますが、彼はその痛みに向き合いながらも、料理への情熱を決して失うことはありません。この経験は、博隆が「人生に負けない」という誓いを胸に、日々、料理と真摯に向き合う強さを一層深めた証です。


【ご来店のお客様へ】ご予約についてのお願い

「うすい山荘」は、お客様一人ひとりに最高の体験をお届けするため、心を込めておもてなしをしております。

おかげさまで多くのお客様にご愛顧いただいており、特に週末や連休、観光シーズンには大変混み合います。

ご予約なしでご来店の場合、満席のためお席にご案内できないことがございます。

これは、お近くにお住まいの方、遠方からお越しの方、皆様に共通してお願いしたい大切な点です。

せっかくお越しいただいたにも関わらず、お帰りいただくことになってしまうのは、私どもにとっても大変心苦しいことです。

スムーズなご案内と、心ゆくまでお料理をお楽しみいただくためにも、ご来店の際は必ず事前のご予約をお願いいたします。

ご予約・お問い合わせはこちら

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

予約・お問い合わせ電話番号:

083-984-2426

営業時間:

* 昼の部: 11:00 ~ 14:00 まで(ラストオーダー 13:30 まで)

* 夜の部: 17:00 ~ 21:00 まで(夜の部はご予約のお客様のみとさせていただきます)

結び:歴史と人間性が織りなす「うすい山荘」の唯一無二の価値

「うすい山荘」は、単なる車えび料理の店ではありません。

それは、千百年もの時を超え、皇族の血を引く武家から医家、信仰、芸術へと多岐にわたる「臼井一族」の壮大な歴史を体現する場所です。

そして同時に、当主・臼井博隆が、幼い日の困難と真摯に向き合い、「七感」という天賦の才を駆使し、その人生をかけて「味と記憶」を紡ぎ続ける「臼井家」の物語が息づく場所でもあります。

博隆の人生には、実に様々なことがありました。幼き日の吃音、故き兄の言葉、そして今もボルトの入る股関節の怪我。しかし、彼は自らに課した旗を、決して下ろすことはありません。「車えび料理は、臼井博隆の人生そのものです。」 日本人の繊細な味覚に合わせた伝統の味から、時には海外の感性を取り入れた新たな挑戦まで、彼が生み出す一皿一皿には、その全てが凝縮されています。博隆の人生は、まだまだこれからです。

山口の豊かな自然に抱かれたこの地は、都会の喧騒とは無縁の静寂と、本物の価値を求めるお客様にとって、まさに特別な隠れ家です。博隆が語るように、「山口県山口市の田舎だからこそ、この極上の車えび料理は可能となる」のです。ここでは、都会では味わえない「落ち着いた時間がゆっくりと過ぎる」贅沢を、心ゆくまでご堪能いただけます。この唯一無二の価値こそが、「うすい山荘」が未来へ続くための礎であり、博隆と智恵美が共に築き上げる、持続可能な繁栄への道なのです。

ぜひ一度、当山荘にて、この千百年の歴史と、比類なき「魂の料理」、そして心安らぐ時間をご堪能ください。


 
 
 

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【ご来店前必読】12月と年末の定休日・営業時間について(ご予約のお願い) 📞 活車えび料理を確実にご提供するために、ご来店前は必ずお電話ください。

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